No Nukes 原発ゼロ

福島原発事故を契機に「原発」及び「気になるニュース」をキーワードとした情報収集を始めました。私のスクラップブックです。(by iwane)

カテゴリ:●原発事故と被害 > 福一原発事故

しんぶん赤旗 2017年3月25日(土)

 東京電力の持ち株会社・東京電力ホールディングスが、国の原子力損害賠償・廃炉等支援機構とともに、福島第1原発事故で支出増が迫られている除染や賠償、廃炉などの費用を確保し、経営を「再建」するための「新々総合特別事業計画」骨子をまとめました。

株式を国に引き渡し、事実上「国有化」されている東電が、他社との事業再編や統合などで収益を改善していこうというものですが、見過ごせないのは原発の再稼働が前提になっていることです。福島第2原発はもちろん、柏崎刈羽原発についても住民の同意はありません。再稼働前提は断念すべきです。

1基動かせば500億円

 安倍晋三政権は昨年末、福島第1原発事故によって必要と見込まれる資金はこれまでの見通しの2倍に上る約22兆円になるとの試算を発表し、賠償や廃炉の費用は大部分を東電と電力会社が、除染の費用は国が保有する東電株を売却して確保するとしました。

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2017年3月21日
 
 「書きたいんです。命とは何か」。作家林京子さんのそんな願いが、長崎から福島への一本道を明らかにした。私たちはそこからどこへ行くのだろうか。

 本人の意思とは関係なく「原爆作家」と呼ばれてきた。だが、明らかに何かが違う。

 十四歳、長崎県立高女三年の時に、勤労動員先だった爆心から一・四キロの三菱兵器製作所で被爆した。

 長崎市内で生まれ、一歳で上海へ。父親は石炭を扱う三井の商社マン。戦況の悪化に伴い帰国したのは敗戦の年の三月だった。

◆加害者の視点も秘めて

 魔都上海の共同租界で、「侵略者の国の子供」として育てられ、加害者の視点も持っていた。原爆が一瞬に消し去ったふるさとの風景に対する感傷は薄かった。

 だからだろうか。一九七五年に芥川賞を受賞した「祭りの場」には、かなり乾いた叙述も目立つ。 

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原発賠償判決 国と東電への警告だ <朝日新聞社説>
2017年3月19日(日)付

 東京電力はもちろん、国の原子力行政に厳しく反省を迫り、自覚を促す判決だ。

 福島第一原発の事故で避難生活を余儀なくされた住民が、東電と国に賠償を求めた集団訴訟で、前橋地裁は両者の責任を認める判決を言い渡した。

 根底に流れるのは、事故が起きれば甚大な被害をもたらす原発を「国策民営」で推進してきた以上、事業者も国もそうした事態を招かないようにする、極めて重い義務を負うという考えだ。うなずく人は多いだろう。

 一方で、刑事と民事の違いはあるが、東電の元幹部について検察が2度にわたって不起訴にした末に検察審査会が強制起訴の議決をするなど、事故をめぐる法的評価は定まっていない。

 今回と同じような集団訴訟は各地の地裁に起こされている。救済すべき住民の範囲や金額もふくめ、今後の裁判例の集積を注視する必要がある。

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原発賠償判決 国に対する重い警告だ <毎日新聞社説>
毎日新聞2017年3月18日 東京朝刊

 原子力政策における国の責任は極めて重い。司法からのそうした警告と受け止めるべきだ。

 東京電力福島第1原発事故によって避難した住民が東電と国に損害賠償を求めた集団訴訟で、前橋地裁が両者に、住民62人に3855万円を支払うよう命じた。司法が原発事故で初めて国の過失責任を認定した。

 この訴訟は、東電が津波を予測できたのか、国が東電に安全対策を取るよう規制権限を行使すべきだったのかが最大の争点だった。

 原告側が津波襲来を予見できた端緒として着目したのは、政府が2002年に公表した長期評価だ。三陸沖北部から房総沖でマグニチュード8クラスの地震が「30年以内に20%程度の確率」で発生するというものだった。

 東電は08年、この評価を基に福島第1原発で最大15・7メートルの津波を予測した。11年に実際に襲った津波は15・5メートルだった。長期評価や具体的な予測を踏まえ、東電が津波対策に取り組んでいれば事故は防げたというのが原告の主張だ。

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 きのう3月11日に、政府主催の東日本大震災6周年追悼式が行われた。
 
 私が驚いたのは、その追悼式で述べた安倍首相の式辞の中に、「原発事故」ということばがどこにも使われていなかったことだ。

 これまでの追悼式辞では必ず使われていたというのにである。

 この驚くべき事を私が知ったのは、共同通信が配信し、東京新聞が一段の小さな記事でそれを記事にしたからだ。

 その他の大手新聞にはその記事は見当たらない。
 この共同の配信がなければ、私は知らないままだっただろう。

 そして、おそらく共同通信や東京新聞を読んでいない多くの一般国民は。まったく知らないままだろう。

 私は、これは明らかに安倍首相の確信犯だと思う。
 原発事故はもう終わりにしたいのだ。
 原発再稼働を定着させたいのだ。

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