No Nukes 原発ゼロ

福島原発事故を契機に「原発」及び「気になるニュース」をキーワードとした情報収集を始めました。私のスクラップブックです。(by iwane)

カテゴリ:●新聞社・報道 > 東京新聞

2017年9月20日
 
 議員任期を一年以上残しているとはいえ、閉塞(へいそく)感が漂う日本政治を転換する機会でもある。政権側の思惑に惑わされず、五年近くにわたる「安倍政治」に対する審判をしっかりと下したい。

 自民党の二階俊博幹事長が、安倍晋三首相から早期の衆院解散を検討していると伝えられたことを明らかにした。二十八日召集予定の臨時国会の冒頭にも衆院を解散し、十月中旬に公示、下旬に投開票が行われる見通しだという。

 衆院解散は、全国民の代表である国会議員の身分を行政府の長である首相が奪う行為だ。

内閣不信任決議案の可決または信任決議案の否決という憲法に定めがある場合や、国民に信を問うべき重要な争点がある場合を除き、首相の「解散権」は、乱用を厳に慎むべきものである。

 首相の今回の解散に、そもそも急ぐべき「大義」はあるのか。

 臨時国会召集は、森友学園への国有地売却、加計学園による獣医学部新設、防衛省・自衛隊の日報隠しなど安倍政権をめぐる疑惑追及のため、野党側が憲法五三条に基づいて要求していたものだ。

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参院の閉会中審査で、文科省の前川喜平前事務次官の前を通る菅官房長官=7月10日

 「人事によって、大臣の考えや目指す方針が組織の内外にメッセージとして伝わります。(中略)とりわけ官僚は『人事』に敏感で、そこから大臣の意思を鋭く察知します」

 菅義偉(すがよしひで)官房長官が五年前、自著「政治家の覚悟~官僚を動かせ~」に記した一節だ。

 「大臣」を「官邸」と置き換えてみればいい。菅氏の言葉通り、第二次安倍政権は「霞が関」の人事を掌握し、官邸主導を強めた。

中でも“安倍一強”を形づくった力の源泉と言われるのが、二〇一四年五月に設置された内閣人事局だ。菅氏が実質的に取り仕切り、各省庁の審議官級以上の約六百人の人事を操る。

 かつて「最強官庁」と呼ばれた財務省も例外ではない。一五年七月、財務事務次官に就いたのは、第一次政権で安倍首相の秘書官を務めていた田中一穂(かずほ)氏。同期が三代続く異例の人事に、首相周辺は「総理が田中を絶対、次官にすると言っていた」と明かす。

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2017年9月19日
 
 違憲と指摘された安全保障関連法成立から二年。地域情勢はむしろ緊迫化し、日本に忍び寄るのは、敵基地攻撃能力の保有と核武装という「誘惑」だ。

 「平素からいざというときの備えをしっかりとつくり、隙のない体制を整えることが紛争を未然に防止する抑止力を高める。日本が攻撃を受ける国民全体のリスクを減少させることにつながる」

 二〇一五年九月十九日未明、議場に「憲法違反だ」との掛け声が響く中、成立した安保法。歴代内閣が違憲としてきた「集団的自衛権の行使」を一転、可能にした安倍晋三首相が法案審議で強調し続けたのが、日米同盟の強化によって抑止力を高めることだった。

◆日本のリスク減少せず

 しかし、日本を取り巻くアジア・太平洋地域の情勢はどうか。

 例えば、北朝鮮。安保法成立前の一年間に二発だった弾道ミサイル発射は、成立後の二年間で三十九発に上る。成立前の一年間は行われなかった核実験は成立後二年間で三回に達する。北朝鮮は日本への核攻撃を公言し、八月二十九日と今月十五日には弾道ミサイルが日本上空を通過した。

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東京新聞 2017年9月17日 朝刊
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2015年4月2日に首相官邸を訪問した愛媛県今治市の出張記録。応対者は非公表=市職員名は加工処理

 急きょ東京出張の日程が変更になった。二〇一五年四月二日夕。帰りの航空機の便を遅らせて、愛媛県今治市の職員が首相官邸を訪れた。

 待っていたのは、柳瀬唯夫(やなせただお)首相秘書官(当時)。県職員と学校法人「加計学園」(岡山市)の幹部も同席した場で、県と市に学園の獣医学部新設を進めるよう対応を迫ったという。

 柳瀬氏は、安倍晋三首相が創設した国家戦略特区を担当。アベノミクスの恩恵を全国に波及させるとして、地方創生につながる特区提案を近く募ることになっていた。

市の文書には、この日の午後三時~四時半、「獣医師養成系大学の設置に関する協議」のため、市の担当者が官邸を訪問した出張記録が残る。

 しかし、今年七月、国会の閉会中審査で、官邸での面会の事実を問われた柳瀬氏は「記憶にない」を連発。かたくなに面会を否定する政府に対し、県幹部も苦言を呈する。「何で国は隠すんですか」

 官邸訪問から二カ月後、県と市が国家戦略特区に提案すると、十年にわたって膠着(こうちゃく)していた獣医学部の計画が一気に動きだす。

 政府関係者は言う。「四月二日が『加計ありき』のキックオフだった」

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2017年9月18日

 語り継ぐ-。若い世代のそんな決意をよく耳にした夏でした。“戦争を知る大人たち”。その記憶こそ迷走の時代の宝物。今夜もゆっくり聴かせてほしい。

 七十二回目の八月の後ろ姿を見送りながら、日本原水爆被害者団体協議会(被団協)代表委員を長く務めた谷口稜曄(すみてる)さんは、八十八年の生涯を閉じました。

 訃報に触れて、頭の中を駆け抜けたのは、後悔でした。

 お目にかかっておけばよかった。お話をじかに、うかがっておくべきだった-。今なお、歯がゆい思いがします。

全身全霊で被爆を語る

 「ヒロシマナガサキ」というドキュメンタリー映画を初めて見たときの衝撃は、今も忘れられません。二〇〇七年八月五日、広島。原爆忌の前日でした。

 監督は日系米国人のスティーブン・オカザキさん。監督自らによる広島、長崎の被爆者十四人、そして原爆投下に関与した米国側の関係者四人のインタビューを中心に構成されています。

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