2017年5月19日
 
 二転三転の高浜原発再稼働。国も司法も電力会社も自治体も、その責任を負えないまま、福島の事故究明や避難計画の実効性、何より住民の不安を置き去りにしたままで、原発が次々息を吹き返す。

 昨年春、大津地裁は滋賀県住民の訴えを入れ、関西電力高浜原発3、4号機の運転を差し止めた。

 原発を動かすならば、事実上のゼロリスク-、すなわち福島の事故原因に基づいた、完璧に近い備えがいるとの判断だった。

 前年の暮れ、福井地裁は「絶対的安全性は想定できず、危険性が社会通念上無視できる程度まで管理すべきだ」と、真逆の決定を下していた。

 再稼働のよりどころとなったこの三月の大阪高裁の判断も、これと同様、ゼロリスクの追求はできない、しなくてもいいという考えに立つと言えるだろう。「想定外」なら仕方がないということだ。

 従って高浜原発は、重大事故の危険を残したままで、再び動き始めたということだ。

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  福島の事故原因は、究明されてはいないのだ。

 ならば、万一の事故の備えはどうかといえば、やはり万全にはほど遠い。
 日本の原発は、元々往来の不便な海辺に建てられる。

 国は周辺三十キロ圏の自治体に、避難計画の策定を義務付けた。だが、渋滞は、車両の確保は、船は、介助の人員は…。自治体側の悩みは深い。

 原子力規制委員会は、避難計画にはかかわらない。政府も了承するだけだ。
 被害の補償はできるのか。

 民間では世界最大の東京電力にさえ、福島の事故の負担は到底負いきれない。関電や政府に十分な補償ができる保証はない。

 それでも、立地地域以外の住民の声は聞こうとしない。

 周辺住民にとっては、ないないづくし。運営する電力会社も立地地域も最大のリスクを抱え続けることになる。これで「安心しろ」と言うのは無理だ。

 この状態が、「社会通念上無視できるほどのリスク」だとするならば、この世に危険なものなど存在しない

 何か起きればすべて「想定外」で済まされる-。安全神話が復活した、というしかないではないか。

 福島の事故に関して明らかなことが、少なくとも一つはある。それは、安全神話こそ、すべてのはじまりだったということだ。